雑
久しぶりにPFCで30分サンプリングバトルをしました。結構しんどかった。
何日か前から天井に小さい蜘蛛が住み着いています。ベッドの上を行ったり来たりしていて、寝ている間に落ちてこないか心配。
あの体躯に天井全てのスペースを使わせてあげているのだから、家賃の半分でも肩代わりしてくれないかしら。モノを失うことに恐怖を感じる人間なのですが、「DJ用の曲が10000ほど、スマホのストレージに入りきらなくなった写真1000ほどが入っているSSDドライブが接触不良で死にそう」レベルになると現実から目を背けるという行動を取ることがこの一週間くらいでわかりました。
デスクの隅に追いやって向き合わなければならない物事リストから必死に除外しようとしています。
データに安心を求めようとするのをやめるか、お金を出してバックアップという安心を買うか。自分が曲に組み込む音が受け手に感情を強制しないか不安になってしまいます。以前考えていた「わざとらしさ」に通じている気がしているけれどよくわからない。
アニメでキャラクターが悲しみや寂しさと向き合うシーンでしっとりとしたピアノの音楽になったり、雨が降っていたりするのと同じようなとき(クリシェ?に触れたとき)にも似たようなことを感じた。気がする。 (他だとあからさまにクレシェンドしたりテンポが落ちたりインパクトで盛り上げ感出したり......ビルドアップも苦手) そういう意図で作られているわけではないことは百も承知でも「はい、ここで感動してください」とか「こうしておけばこういう感情になるでしょ」みたいな押し付けを感じてしまう。せっかく世界に没入できていたのに邪魔されたように感じることもある。
ではどうするか。
...どうしたらいいんでしょうね今のところの願望としては、曲の構成、展開や演出などの周辺情報ではなく、作品そのものの強さや切実さの結果として感情が生まれるのがいいなと思っています。
ただただ作品を研ぎ澄まして、表現を突き詰めて、何か伝わったらおもしろいね。
そのためにどんなメロディを組むか、どんな音をどんなリズムで置くか。押し付けられたように感じるかどうかは結局受け手次第ですが......
個人的に、「やがて魔女の森になる」はこれに似たようなもの感じたので少なくとも今年一年は制作をする時のバイブルになる気がする。お祝いしていただくことが苦手なので、大学に入ってからは誕生日を他人に知らせないようにしています。
1人で祝うのが気楽で良い。24歳らしい。
シュークリーム、モンブランショートなどを買いました。
音楽など
窓辺リカさんのアルバムを楽しみにしています。 open.spotify.com
メトロミューさんのミニアルバムも楽しみにしています。 dimegir.booth.pm